たびれこ

- Rec All & Recall -

拝啓、先生。

今週のお題が「思い出の先生」とのことなので,つらつらと書いてみようと思う.


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私の小学校はビックリするほど田舎にあって,校区にアパートが一件もなかった.
高層マンションなんてテレビの向こう側の世界である.
隣町のスーパーまで買い出しに行かなければいけないが,バスは3時間に1本.そんな地域だった.

「イノシシが出る」なんて噂がまことしやかに流れたせいで,近道である獣道が使えず,こどもの足で片道1時間以上かかる山道をえっちらおっちら歩いて通った覚えがある.

よく言われる田舎特有の排他性と村意識が綯い交ぜになった地域だったが,どういう選抜をしたのか,何故か個性的な先生が多かった.



小学校1年生の先生.女性ながらプロレスが好きな先生だった.
それだけなら別に良いのだが,宿題を忘れるともれなくプロレス技をかけてもらえるというので,同級生の中には新技体験希望者と思われる宿題忘れ常習組までいた.

一番の大技はジャイアントスイング(こども向けにスイング弱め)だったのだが,諸事情でたった一回しか披露されなかった.体験できなかった子がひどく残念がっていたのをよく覚えている.
小学校1年生だから他にも色々思い出があったはずなのだが,プロレスの印象が強すぎて忘れてしまった.

ただ,厳しくも大らかな先生だったことは確かで,「せんせえ!」と呼ぶつもりが「おかーさん!」になってしまう子が結構いた.みんなに好かれる太陽のような先生だった.



2年生の先生は,打って変わって大和撫子だった.
やることなすことすべてが1年生の先生と真逆なのだが,それはそれであの世代の男女の憧れの的だった.

普段は実に穏やかな先生だったのだが,小さなルール破りが見つかると静かな炎が宿り,犯人が名乗り出るまで微動だにせず,教壇から無言で教室を睨んでいた.
その場の空気に耐え切れずに冤罪を被ろうとした子は尽く叱られた.
犯人の子が涙を浮かべながら先生に謝罪すると,きついお灸を据えた後,破顔して褒めるのだ.よく言えたね,と.

あの先生は,折り目正しく生きることの大切さを教えてくれたのだろう.



3年生の先生は,片田舎に閃光のごとく現れた,笑顔の似合う新任の先生だった.
若さに似合わぬ達筆な字に度肝を抜かれたが,こどもの遊びにも屈託なく付き合ってくれるというので,男女ともに人気の先生だった.

だが,新任であるがゆえの経験の浅さでもあったのだろうか.
小学校低学年の時に感じた「なにか」が,この先生にはなかった.

いわゆる「学校いじめ」が増えてくるのもこの学年だが,先生は犯人を見つけようとも,いじめられっ子を救おうともしなかった.
いじめの証拠品をすべて没収し,「なかったこと」にしていった.
増える没収品と反比例するように増えていった,「明るく」「楽しく」「みんななかよく」といった標語はもはや滑稽ですらあった.

先生がポロリと零した一言が,きっとあのクラスのすべてだったのだろう.

「いじめられる子には,いじめられるだけの理由があるんだ」と.

誰も糾弾しないその体制は,皆に等しく不信感を与えていった.
胡乱げな視線が飛び交うクラスがいつ終わりを迎えたのか,あまりはっきりとは覚えていない.



4年生は大ベテランの辣腕教師だった.
指示も指導も的確だった.叱る時は容赦なく叱る.だが,理不尽に叱ることはしなかった.
その姿勢のおかげだろうか.クラス替えしか行っていないにも関わらず,目立ったいじめは一切なかった.

4年生といえば,クラブ活動も始まっていよいよ高学年の仲間入りを果たす学年だ.
先生もそれを意識していたのだろう.
必要以上に慣れ合うことなく一線を引き,あるべき姿をその背中で語っていた.
「この人のように,凛とした大人になりたい」と幼心に思わせるような,素敵な先生だった.



5年生の先生は新しいもの好きの,ちょっと変わった先生だった.
クラスの給食残飯が全校で一番多いと知るや,どこで調べてきたのか皆目検討もつかないEM菌とやらを持ってきた.

「食べきれない給食は残してもいいですが,EMくんにあげてくださいね!」

とのことで,うちのクラスはEMくん導入以降,全校で一番残飯が少ないクラスになった.
教室の片隅に置かれたEMくんバケツはゆうに3個を越えていたが.

流石にこれ以上は増やせない,ということで,夏休み前にEMくんバケツを学級花壇に全部ぶちまけた.
明らかに原型を保っていたパンやご飯粒もあったが,EMくんパワーとやらの効果だろうか.
学級花壇のヘチマは伸びに伸びて隣のクラスの倍になり,トウモロコシはそこそこ立派な実をつけた.
かがくのちからってすげー!を地で行く珍現象だった.

しかしこの先生,基本的に長いものには巻かれろ思考だったらしい.
「給食を残さず食べなさい」と言って,給食を一番残していた子の親に強く出られるのを避けるためのEMくん導入だったと風の噂に聞いた時には,そこにかけた謎の労力に脱帽するしかなかった.

学級運営にもその姿勢が滲みでていたのだろうか.
4年生の時にはなかったいじめが復活したが,先生は見て見ぬふりだった.



6年生は,住み慣れた田舎町を離れて違う小学校のお世話になった.
眼鏡が光る長身の先生が担任だった.

身体が大きければ声も大きく,リアクションも大きい.
朗らかな先生だったのだが,生徒は先生の怒りを買うことをもっとも恐れていた.
逆鱗に触れたが最後,一瞬にして般若もかくやという険しい表情になった先生から叱り飛ばされる.
激情家だったことも相俟って,机がなぎ倒され,椅子が宙を飛ぶこともままあった.
流石に生徒に向かって投げることはなかったが,たかだか小学校6年生,圧倒的な物理力の前にはやはり恐怖するものである.

先生は力で生徒を制したが,それ故に,その目を盗んで行われるいじめには無力だった.

だが,先生は最後まで自分のスタイルを貫き通した.
その小学校では,先生が最終防衛ラインだったから,スタイルを変えることは許されなかったのかもしれない.

結果として,陰湿ないじめは潰えることなく,私達は卒業を迎えた.
あの日の先生の涙は,何に対する涙だったんだろうか.



真新しい中学校の制服に袖を通した,門出の日.
貼りだされたクラス表に飛び上がるほど喜び,通学路を駆けて帰った私に,母が告げた言葉は衝撃的だった.

「それ,先生のおかげなのよ」





先生は,すべて知っていたそうだ.
気付いていたが,何も出来なかったと.お子さまの力になれず,すみませんでしたと,謝恩会の場で母に詫びたらしい.

「新しい場所で同じ目に合わないように,僕ができる範囲で最大限努力させて頂きました.
在学時に何もしてあげられなかった僕の,せめてもの罪滅ぼしです.」

それが,深いお辞儀とともに母に伝えられた言葉だったそうだ.


「新しいクラスでは,楽しく学校に通えていますか?」
達筆な字で書かれた年賀状は,中学1年生を最後に来なくなった.
凪の海のように穏やかな,しかし大きな優しさを,私は一生忘れないだろう.




小学校でお世話になった,6人の先生たち.
先生方がくれたものは,みんなみんな,私の大切な思い出です.



いま,いかがお過ごしでしょうか.





―――今週のお題「思い出の先生」

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